【6/n】路上生活からの脱却日記 – 実家があるなら実家に帰るのはどうでしょう編
住んだこともない実家の概要
2023年2月下旬、運転免許証の更新時期の期限が迫っていたため、僕は一旦実家に帰省することにした。僕が路上生活を始めたのは昨年2022年の10月だった。そのときにはすでに、運転免許証の更新時期が来ることがわかっていたので、そのために住民票を実家に移した。この実家に僕は住んだことがない。SNSでは何度か呟いているもののどういう状況かよくわからないと思われる。自己顕示欲が強いと言われてもいいので、少々この辺りを詳しく書いてみたいと思います。
私は生まれも育ちも福島県の郡山市でした。そして、2011年(平成23年)に私は東京の会社に就職することになり、上京しました。2011年といえば、そう、東日本大震災の年なのである。工業高校卒の人間は基本的には就職となると思われ、私も例に漏れずそういう感じでした。
就職が内定し、自宅待機期間(3月から4月はニートしてていいというパラダイス期間である)に東日本大震災が起こりました。でも、福島県の郡山市は、震災の被害はそこまで甚大とは正直言えず、建物の倒壊も数多く発生したわけでもない。私の当時の実家も、実際に揺れは大きかったし、なにより揺れの時間が長かった記憶が今でもあるが、崩れたり、傾いたりはしなかった。しかし、東京電力の福島第一原子力発電所は地震の揺れと津波によって、建屋地下一階に集約されていた配電盤が水没し、全滅したことにより、冷却機能を確保することができず、水素爆発を起こしました。
※これは補足ですが、福島第一原子力発電所の事故の報道では「地震による外部電源の喪失と津波による非常用電源の喪失による事故」のような表現をされることがありますが、これは正確ではなく、実際には、1号機から4号機用の非常用発電機8台のうち、6台は確かに津波被害を受けたが、残る2台は地上の建屋に設置されていたことから、水没を免れています(事故調査報告書)。しかも、皮肉なことに、この2台は安全対策強化として東電が1999年に追加設置したものであり、かつ、空冷式であったため、海水ポンプからの冷却水供給を受けることなく運転可能であり、さらに、1号機から4号機はそれぞれ他の号機と電力融通が可能な設計であったため、この2台が運転しただけでも、最悪の水素爆発まで至ることは防ぐことが出来たかも知れないのです。つまり、非常用電源は完全に喪失されたわけではないのです。すべての電力が喪失した主な原因は、非常用発電機ではなく、配電盤がすべて地下にあり、すべて全滅したことによるのであって、発電機は全滅していないことは記載しておきます。
私の場合は、もともと震災前から入寮予定であり、それは「社員寮は3月27日以降から引っ越し・受け入れますよ」というアナウンスだったと記憶しております。しかし、原子力発電所が爆発したことにより、私の両親は、放射能漏れを恐れて、とりあえず就職が内定している私だけでも東京に先に移動させることを考えていたのだと思います。3月20日頃には、県道17号沿いのAOKIでスーツを一着だけ買って、駅前のビル横の証明写真機で、必要枚数の証明写真を撮影しました。国道4号沿いの店舗はほぼガラス張りの店舗が多く、バッキバキに割れたままであったことをいまでも覚えています。
そして、3月23日頃には現金9万円とスーツ1着だけをもって高速バスで上京しました。これは上記の3月27日よりも前予定となりますし、家電ほか、毛布、シーツ等は持っておりませんでした。寮では、東北出身だということで、前乗りでしたが、部屋だけは開放してくれました。そこには机とベットがあるだけですが、エアコンがあったので助かりました。いまはこの会社を退職しているので、ここにお礼を書いておきます。他にも色々感謝していますが、ありがとうございました。
ここでお気づきでしょうか?僕は元々ホームレスのような上京を経験している人間だということに!笑
結局、災害時はみな一瞬でホームレスになる可能性があるのだ。その諦めのような気持ちが、少なくとも私がホームレスをやっていることにまったく関わりがないとは言えないだろうと思います。
さて、福島県郡山市出身の私の現在の実家は山形県にあります。これが、住んだこともない実家の概要です。福島県ではやはり放射能漏れの恐怖があり、一山超えれば何とかなると考えたのか、なんと両親は5月には山形県に引越しを完了していた。笑
実家にいい印象がなく帰りたくなかった心理状況
僕の上京後に実家が引っ越したため、僕にとっては縁も所縁もない実家が爆誕したことになります。しかも、郡山市よりちょっと東京から遠い。私には兄と弟と妹がいて(7人兄弟)、年下の弟と妹はこの実家で数年暮らしているので、多少愛着があると思うが、僕にはちょっといい印象がなかった。笑
なぜなら、祖父祖母が亡くなった時、すなわち、お葬式のときしかこの実家に帰っていなかったためです。ヒトの死と、住んだことのない実家が、完全にオペラント条件付けされていた。
それと、これは工業高校に通ったことの後悔を書いた記事(工業高校に通うという価値観について)でも記載したのだが、そもそも私の家庭は7人兄弟の貧乏子沢山家庭であり、「就職してお金を貯めて、自分の貯金で大学に通いなさい」という教育方針だった。いや、そのはずだった。これも、他人がどう感じるかは知らないが、僕が両親に対して意地を張っていた原因である。これは「自分の子供に大学くらい通わせろよ」という感情や意味ではない。就職したら、「就職した会社を辞めるなよ」という言明に変容したからである。つまり、金銭的問題が解決するなら大学に通っていいと思っていたし、そういう教育方針であると思っていた自分(実際はそれに加えて入学できる頭が必要なわけだがw)と、子供には安定した人生を歩んでほしいという親とのギャップが生まれたのである。大学受験のために、会社を退職すると言ったときも、結構反対された。(まあ、それはそうだよなと今では思う。笑)
僕はこのもやもやした感情をぶつける先がなかった。別に両親から愛されていないと感じたこともないし、貧乏子沢山家庭を馬鹿だと罵るような言明を見ても、父は普通に教養もあって頭がいいとは思っていた。むしろ、兄弟は公差2の等差数列をなす年齢差・構成であるし、戦略的に子供を作ったようにすら感じられた。妹以降は、女子が可愛くて勢い余った可能性はあるが。実際、僕以外の兄弟は大変出来がよろしいようで、上場企業に就職しているし、早期退職してないし転職していない。
したがって、両親が嫌いな訳ではないのだが、実家に一度でも帰って、住み着いてしまうと、自分の考えた通りには人生が歩めなくなる気がしていたのである。僕は高卒、というか、一般教養・専門知識ともに不足していることがコンプレックスで、周りから白い眼でみられても大学には通いたい。なにより知的好奇心が強いと思う。これは、現在の数週間後から実家に住み着いて新しい仕事を探すことを決めている今でも、少し不安に思っている。その仕事を一生やらせるつもりっぽいからだ。笑
上記のような感情もあり、完全に人生が落ちぶれていた私は、賃貸契約を更新することを辞めたとき、なんと実家に帰ることではなく、路上生活を選んだのである。
心境の変化
さて、金銭面の詳細は路上生活を終えたときに別記事にしたいので省くが、結局はそんなにお金が貯まるわけでもなく、なにより受験勉強するにしても机がないのは本当に大変で、やれることは限られていた。そして、この記事の最初に書いたとおり、運転免許証の更新のために一度実家に帰省した。
このときに温かいご飯を食べた。え?そんなこと?と思われるだろうが、温かい白米なんて半年食ってなかった私は、温かいご飯を食べたとき涙が出そうなくらいであった。ちなみに、路上生活中の昼飯は基本的にマックだった。充電のためである。笑
連日のマック、連日の公園ベンチ就寝により、血液がドロドロになっていたと思う。笑
なにより、屋根があるし、僕が郡山にいたときの実家には無かった「子供部屋」というものが存在していた。子沢山家庭では、兄弟一人ひとりに部屋を与えるのは困難であろう。
また、灯油のストーブもあったし、こたつもあったし、充電も可能だし、Wi-FIも完備されていた。しゃっきしゃきのリンゴもあった。夕食後にはみんなでコーヒーを飲んだ。至れり尽くせりとはこのことである。これでも路上生活を選ぶのであれば、それはもう頭が狂っているとしか思えないだろう。僕まだ狂っていなかった。笑
実家に住むことにした。
一つ心に引っかかるのはTwitterで気さくに絡んでくださるホームレスの諸先輩方である。僕は路上生活者として彼らと出会っているので、そもそもいつでも帰れる実家があることを引け目に感じていた。所謂ファッションホームレスというものである。もちろん、昨年10月から路上生活をしているというのは事実だが、私は、身分証もあるし、住所もあるので再起するには実家に帰ればよいだけであるが、諸先輩方の状況ではそう簡単ではないらしい。
ほんと日本の制度設計はどうにかならないのかと思うが、社会は、社会からホームレスを排除することで成り立っている面もあるので、必ずそれらは個人的解決になるはずである。似たようなことは養老孟司著「唯脳論」のエピローグに記載がある。
それともう一つ、僕は東京という都市社会に疲弊していた。これは、一旦地方に帰省して、再度都内で路上生活していて如実に感じることである。ヒトが多すぎる!!!! 凄まじい競争社会である。僕はもう安定企業を退職した時点で、それに敗れているのである。
山形県では、合計で30kmくらい歩いたが、冬の今の時期に歩道を歩いている30代は、僕だけなのではないかと思った。笑
かなり心が浄化される気持ちになりました。よって、都市社会に疲れた地方出身者には、地方移住も悪くない選択だと思う。
結局のところ、路上生活を卒業して、3月下旬には実家に移住する予定です。それはもう決めています。
うまくまとまっていませんが、日記なので、思いのまま書いてしまいました。ここまで読んでくださりありがとうございました。
ではまた。