なぜ医学部を志望し始めたのか思い出すだけの回

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医学部か東大か

私は医学部再受験(高卒就職組であり実際には初受験)を諦め、しかしながら、高卒である自分の学歴や教養をさらに高めたいという考えのもと、また、下衆な話ではあるがその後就職が必要になった際に一定の信頼感を確保できるという考えのもと、一旦は東大理系を目標として勉強していた。

9月も末日になり、そろそろ過去問を買い揃えておかないといけない時期になってきた時期である今、結局自分は何がしたいのか?という迷いが生じた。もちろん学力的にまだまだそのレベルに到達していないため、このような迷いの上であれこれ計画を立てることは、「とらぬ狸の皮算用」であるが、だからこそ東大ではなく地方医学部なら今年度で間に合うのではないか、という迷いが生じているとも取れる。

一般的にこういった人生の迷走のような話は、実際に目標を成し遂げた後に開示するべきであることを自覚しているが、反対にリアルタイムで受験勉強を継続している方がその迷いを記すことも一定の価値があるのではないか、とも思い文章にすることにした。

特に答えが出せているわけではないが、どのようなことをしたくて当初医学部再受験を目指したのか、果たして自分は何がしたいのかを文章にして整理してみる。

前提

私は貧乏家庭出身で、大学には行かせるお金がないので最初から工業高校に行って就職し、それからお金を貯めたら自分で大学に行きなさい、という教育方針であった。そのため、言い方は悪いが、就職が楽そうな電気科を選択して工業高校に入った。電気を使用しない現代人などいないだろうと中学生ながらに考えた。つまり、最初から工業高校卒の就職とは、すなわち、仮面浪人の始まりみたいなものだ。

したがって、医学部再受験や東大受験というものを大学卒業後にやれば、世間一般的感覚では「少し変わった人」という扱いになる(私はそういう人が好きだが)だろうが、私は元々高卒で大学になど通ったこともないうえに上記の教育方針だったことから、医学部受験や東大受験自体に特別感は感じておらず、むしろなぜ高卒の人が現状に不満を述べつつ高卒のまま働いているのか非常に謎というのが本音である。ゆえに、大学受験を諦めるという選択は、結婚相手と出会ってしまう等のバグがない場合はおそらくないと思われる。

医学部が頭に浮かぶ前の最初の興味

医学部を目指すもっと以前の、自分の興味対象は何だっただろうか。それは、「意識」であったように思う。ここでいう意識は、我々が普段目の前の事象を認識・認知することそれ自体を指す一般的な意識である。一番最初は、東大の池谷裕二先生の一般向けに書かれた脳の本を読んで、脳に興味を持ったのが始まりである。

読んだ本

確か記憶では池谷先生が、右眼と左眼の間に仕切りを設けて、片方には赤を、もう片方には緑を用意し、両眼でみると、当人には黄色が見えるというものを紹介しており、ヒトの認知に興味を持った。

「友達の見ている青い空の色と自分が見ている青い空の色は果たして同じ青い色だろうか、証明できるだろうか」ということには小学生の頃から疑問を持っていた。

私が高校生の頃からネット上では、江頭2:50の名言として「生まれたときから目が見えない人に、空の青さを伝えるとき何て言えばいいんだ?こんな簡単なことさえ言葉に出来ない俺は芸人失格だよ」というものが紹介されていた。もちろん本当にこの発言があったのかは知らない。笑

しかし、これは実は芸人失格か否かという問題よりも難しい問題だと思われる。つまり、視覚的な意識を体験したことのない人がどのような世界を見ている・あるいは聞いているのかは、視覚的な世界が当たり前の我々にはわからないということである。モグラやミミズの世界はおそらく触覚・嗅覚的な世界であろう。イルカは聴覚的な世界であろう。また、昆虫のみる世界では紫外線も可視光であって、花は我々がみるよりも美しいのであろう。

その後、たくさんの本を読んだが意識の研究では現在、統合情報理論というものが流行っていることを知った。

医学部を明確に意識し始めたのはこれを読んだ時である。シンプルな話で、この理論提唱者のトノーニが医学部での解剖実習の衝撃を語っていたこと、並びに解剖をして取り出した脳を手の平に乗せたとき、この脳が見ていた小宇宙の不可思議さに興味を持ったようなことが書いてあったからである。東大の池谷先生は薬学部出身で海馬の研究をしており、大学にいったことのない私はその進路に実感が持てなかったが、医学部に行けばどうやら解剖ができるらしい。

医学部再受験を目指したきっかけ

さらにその後、医学部再受験を強く目指したきっかけは何だっただろうか。少し思い出してみる。

2011-2012年頃だろうか。ちょうどその頃は再生医療としてのiPS細胞や遺伝子編集技術としてのCRISPR – Cas9が登場した頃だったと記憶している。それまで所謂「不治の病」とされていたものが、遺伝子を直接編集することによって、もしや治る可能性があるのでは?と、非医療者ながら考えたことを記憶している。

下記の2冊は2017年頃にようやく発売されて読んだ。面白かった。

また、これは偶然であるが、私は鉄道会社で保守や設計の仕事をしていた経歴があり、その当時は電気設備関連の保守をしていた。ここでレール交換というものを行うのである。レール交換は土木系の仕事ではあるが、実はレールには帰線電流や信号用の電流が流れており、電気的に接続もしくは、信号用に絶縁処理をする必要がある。鉄道のレールというのは基本的に25mを1単位として交換することになる。最近ではそれをテルミット反応を利用したテルミット溶接をすることで、電気的にも機械・構造的にも隙間なく接続され、ガタンゴトンという鉄道特有の音を生じることもなくなり、騒音抑止・乗り心地改善にも繋がることになり、これはロングレールと呼ばれる。

実は鉄道のガタンゴトンという周期的な音は、25mごとにレールが接続されておりその各々の間に隙間があることから生じる振動音である。したがって、都市部ではあまりこの音を聴くことはなくなりつつある。テルミット溶接が使われるためである。レール交換は予め交換ポイントを決めて調査し、新レールを編集・用意してそのターゲットまで運び、旧レールを外した後に新レールを挿入し溶接または物理的に接続する。

突然何の話だろうと思うだろうが、簡単にいうと私にとってはレール交換も遺伝子をある標的で切断してそこに編集した、または、単に標的座位でカットして短くし繋ぎ直す(ノックアウト)ことも、スケールが違うだけで同じに見えたのである。すなわち、CRISPR – Cas9の仕組みそのものに見えたのである。よく考えてみると、遺伝子の二重螺旋は螺旋をほどくと2本のレールと枕木の関係にそっくりである。というかほぼ同じである。違うのは化学的な塩基の相補性の有無である。もちろんそこからアミノ酸の配列が決定されタンパク質が生成されるため、機能的には蟻と象位の違いがあることも理解しているが、構造的には非常に似ていることに気がついた。

そしてCRISPR-Cas9のことを予め知っていたことから、私はそのような発見を得たし、それに強い悦びを覚えた。一見何の繋がりもないようなところに繋がりを見るのはまさしく「連合」である。パブロフの犬は鐘の音を聞くと「食事」だと思う。つまり、彼にとっては「食事」と「鐘の音」は連合しているのだ。それをヒトは「意味」とよぶ。パブロフの犬にとって鐘の音は食事を意味する。

これは受け売りだが、このような発見をするとヒトはおそらく「中毒」を引き起こす。アルキメデスが風呂から裸のまま飛び出したのは、彼にとってそれが発見であったからであろう。周囲の人間にとってはそれに「意味」はなくとも、本人にとっては宝物になることもある。猫はネズミの出てくる穴を見つけたら、一日中でもそこで待っている。私が多浪しているのも、そういうことなのかも知れない。笑

少しわかり辛かったかも知れないが、このような自分の中での発見が訪れた時に「大学に行って学びたい」と強く思った。知らないことには繋がりを見出すことはできないと考えたためである。このとき私は、「人を救いたい」だとか、「年収n万は楽にもらえる」ということにはまったく興味がなかった。

当時は収入が安定していたからとも言えるが、今でもあまり収入にはこだわりがない方であると思う。また、人命を救う観点から、もちろん医師になれば相応の倫理観を持って仕事をすべきとは思うが、率直な思いとしては、どちらかといえば知的好奇心の方が勝っていたのであった。現実的には医師免許というものが、常時禁止されている行為を国が特別に許可する「免許」であり、しかも取得難易度が相当高い免許であり独占業となっていることから安定している職業ということも理解している。

大学など通ったことも検討したこともなかったので、この時にはまだセンター試験の存在すら知らなかったが、医学部というところに行けば、人体の仕組み、遺伝子の仕組み、並びにそれによる免疫の仕組みも学べるらしい。医学部に行きたいと思った。

それに迷いが生じたのはなぜだろうか。

つづく。